1995年1月17日
阪神淡路大震災の日、私は西宮市に住んでいました。
震度7の激震地区で、倒れてきたタンスの下敷きとなり、動きに手間取っている間、ご近所の皆さんが名前を呼んでくださっていた大きな声は今も耳に残っています。
小学校区内で88名が犠牲になられた町でした。
瓦礫を掘り起こして助け合ったり、手に手を取って避難所に行ったりしました。
古い町で、それぞれのお宅の家族構成がわかっているようなおつきあいでしたので、比較的迅速に生存確認ができました。ご近所の様子が見えていることの重要性を感じていました。
2011年9月に、90歳直前となった義父との同居のために姫路市勝原区に転居しました。
仕事の拠点が西宮市なので、西宮に通勤する毎日が続きました。
やがて2020年に世界を襲ったパンデミック。
義父も要介護となり、リモートワークも併用しながら、徐々に姫路で過す時間が長くなってきました。 そんな状況のなかで、見えてきた地域の事情。
どんどん進む高齢化。
子どもたちが独立した夫婦二人家庭、さらに配偶者が旅立って独居となった家庭の増加。
また、友人・知人の孤独死からも、「高齢者の暮らし方」を考えるようになりました。
亡くなられてから1カ月も発見されなかった人もいます。
地震や津波、洪水など、災害が起きた時に、ご近所の様子がわかっていれば、助け合いながらいち早く避難したり支援することがしやすくなる!というのが、阪神淡路大震災で教訓を得た私の信念です。
代表 正木京子